私なりの糸の結び方を探しながら
舞台『粛々と運針』
作:横山拓也 演出:ウォーリー木下
主演:加藤シゲアキ
2022/3/8-3/27 @PARCO劇場
2022/4/8-4/10 @森ノ宮ピロティホール
<あらすじ>
築野家。一(はじめ)は弟・紘(つなぐ)と二人で母を見舞う。病室で母から紹介されたのは、「金沢さん」という初対面の初老の紳士。父が死んだあと、親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。まだ治療の可能性はあるのに。
田熊家。平均寿命くらいまで支払いを続けたら自分のものになる小さな一軒家を去年購入した沙都子と應介。その家のどこかで子猫の鳴き声がする。早く助けてあげたいけど、交通事故で頸椎を痛めた應介はケガを理由に探してくれない。そしてお腹に新しい命を宿しているかもしれない沙都子は不思議なことにこの話の切り出し方が分からない・・・。
平凡な生活の内に潜む二つの家の葛藤を、周到な会話で縫い合わせるように描き出す命の物語。
粛々と運針 | PARCO STAGE -パルコステージ- より引用
このご時世、カンパニーの誰一人が欠けることなく、東京、大阪公演と最後まで駆け抜けられたこと、どれだけ稀有なことか。『モダンボーイズ』の無念が少しは晴らせたかな、ほんとーーーーーーーーーーーに、少しね。(私情)
始まりから圧倒される舞台美術から音楽から演者の衣装まで。なんというか、ものすごく意外で。小さなギャラリーから始まったこの作品は、演者が椅子に座りながら紡がれる会話たちによって進行される、日常におけるささやかな物語。今回かなりのスケールアップとはいえ、良い意味で質素な舞台になるのだろうなと想像していたもんだから、出だしのディジュリドゥとパーカッションにそんな心構えのようなものを全部もってかれた。衣装も本当に素敵。ちょっとおしゃべりすぎるぐらいの衣装の方が、私は好き。
後ろの映像がすべてドットで描かれていたのが印象的で、まるでわたしたちを創り上げる細胞ひとつひとつみたいだった。赤と青の対比も鮮やかで、これは衣装にも言えることだけれど、赤=血の色、肉の色、太陽が連想され、力強く生と明るさの象徴。対する青=空や海の色、知的で穏やかな印象を受ける、平和のシンボル。リアルな物語と対称的な、抽象的で神秘的な空気に終始包まれていた。
内容は非常に普遍的でわたしたちの日常にも溢れていること。
「生命」の終わりと「生命」の始まりに葛藤するふたつの家族の物語。
結「こうやって。生き生きと暮らしている人たちの下に、命は埋まってる。」
桜が美しく咲き続けるために、何かを成し遂げるには何かしら、誰かしらの犠牲が必要で。知らず知らずに生きている当たり前の日常にも、自分以外の「生」が存在している。それは必ずしも実際の「死」を伴うわけではなくて、例えばコロナ禍における医療従事者の働きが「命」を燃やして人々の生活を支えている、ということにも当てはまると思う。
結「じゃあさ、桜の木。何年花を咲かせ続けたら納得する?」
結「でもね、変な話。そういう手もあるんだなって今になったら思う。」
すごくドキっとした。「尊厳死」という選択をした結が、もし、私自身の親や祖父母だったら、私はそれを認めることはできるのかな。沙都子や紘が言うみたいに、身内の命を客観的に見てみるなんて、絶対無理だ。ましてや一(はじめ)はずっと一緒に暮らしてきたんだから。たしかに、そこにあるのは結への愛だけではなくて、自分への愛かもしれないけれど。
沙都子「應くんと結婚したことは私の意志やし。それで、仕事も続けて、すきなことして、二人で人生謳歌するって決めたやん。」
これは私がすごく好きなセリフ。めーっちゃ素敵。専業主夫になったらあかんかな、って応える應介も素敵。でも産むのはどうしたって沙都子だから、難しい。
結婚も、その先の生き方も、なんなら死に方も、自分の意思で選べるけれど、産まれることって唯一選択できないよねって考えたり。
沙都子「私は、私の人生守らなアカンもん。」「私の命はどうなるん。」「人生やんか。命の果たし方やん。私だけの、命の。」
「生」命 と 人「生」
病院に行くのに歩いていったらダメ、とかそんな知識も無い状態で産んで欲しい、一緒に育てようなんて言われたら腹が立つよね。子供ひとりを産んで育てきる自信が無いことも、夫婦ふたりだけの理想的な生活を続けていきたい望みも、それぞれの事情を他人が決めつけるように否定したら、それは、そんな悲しいことないだろうな。私はまだ学生で、結婚も出産も全部が身近ではなくて、それでも沙都子と由加の気持ちを想っては、胸が苦しくて苦しくてたまらなかった。どうして、女性だから諦めなければいけないんだろうね。いつまでたっても変わらない社会の構造に深く絶望する、何て無駄な時間。
紘「もうアニキが解放してやらないと。」「最後まで、アニキの『お母さん』のままだよ。」
子を持つ幸せと、母という役割のまま生き続けることは全く別物で、生涯を通して、ひとりの人間として他者から認識されることは必要だと思う。けれども、人は支えあって生きているわけで、常にだれかにとっての何者かで、その役割から逃げることってできないのかもしれない。それでも結は尊厳死を選択することで、自分の人生としての結末を迎えようとした。
紘「俺も…。俺のお母さんなんだよ。」
紘もひとりの人間なんだもんね、と安心できた瞬間。幼い頃から父親と長男である一(はじめ)に振り回されて、無理やり大人になるしかなくて、弟や子であることを諦めて生きてきた。もっとわがまま言いたかっただろうに、甘えたかっただろうに、子である自分を最後まで奥の奥の方に仕舞い込んで、結の生き方を尊重してあげる姿を見ては少しもどかしさを感じて、抱きしめてあげたくなる。お兄ちゃんホントしっかりしてくれよ…()
ひとつの時間軸で、同じ舞台上で、物語が進行していく中で、後半にかけて別々の問題を抱えるふたつの家族が交じり合っていく様があまりに自然で、鮮やかだった。しかし一方で、現実はそうもうまくいかないという事実も突き付けられた。誰も間違っていない、全部が正論。だからこそどうしようもなく、でもどうにかするしかなくて。
「わかんない」「わからん」
みんなが度々口にする。考えを放棄しているわけではなくて、本当に。
わかんないよね、わかんないんだよ。
こんなに大きな出来事があったとしても、4人の結末は私たちの想像の範疇を超えることはない。人ってそんな簡単に変われないし、そんな綺麗な解決策が用意されていないのが現実だから。
けれども、
最後に真っ白な衣装を纏って現れた結は、自分なりの結末を迎えられたのだろうし、
動き出した柱時計の針は一(はじめ)の止まっていた時を進め、
木の下に何も埋まっていなくても、桜は綺麗に咲いたのだろうと思う。そう信じたい。
粛々と進む時計の針は、無情に、時に優しく背中を押してくれる。
選択ばかりのこの人生において、今後の数々の分岐点でこの物語を思い出すだろう。垂れ下がるたくさんの糸に絡まりながら、人生という意味での命と向き合いながら、
私は、私なりの糸の結び方をこれからも探し続けていきたい。
これが私の人生でした、って言えるように。
◎初演作HP
◎当時の戯曲をそのまま観れたりします、保存用