奇跡の裏側に主役の後ろ姿を見る

舞台「エドモン~『シラノ・ド・ベルジュラック』を書いた男~」

 

作:アレクシス・ミシャリク 台本・演出:マキノノゾミ

主演:加藤シゲアキ

 

2023/4/1-4/16 @新国立劇場 中劇場

2023/4/22-4/24 @東大阪市文化創造館

 

<あらすじ>

1897年12月、パリ。2年も書けずに大スランプに陥っている詩人で劇作家のエドモン・ロスタン。ある日突然、大女優サラ・ベルナールからの大きな仕事が舞い込み、偉大な喜劇王コクランに英雄的なコメディ詩劇の新作を書くことを約束してしまう。なんと初日は3週間後!
ムッシュ・オノレのカフェで、構想を練るが、まったく書けない……。衣裳係のジャンヌに恋する友人の俳優レオの恋愛相談に乗り、訳あり主演女優とプロデューサー兄弟の気まぐれに振り回され、妻ローズに怒られ、ありとあらゆるトラブルに見舞われながら、舞台監督のリュシアンやコクランの息子ジャンたちと稽古をはじめるが……。
エドモン・ロスタンの人生をかけた一世一代の創作、そのタイトルは……
そう……『シラノ・ド・ベルジュラック』!!!

エドモン | PARCO STAGE -パルコステージ- より引用

 

 

 

 

 

 舞台「エドモン」初日の幕が上がる時、何だかいつもより心がどきどきしてた。舞台の幕が上がるまでの物語を描いたこのお話とリンクするように、舞台「エドモン」もまたドタバタな裏側が存在したのかと思うと微笑ましくて、わくわくしてたまらなかったから。

 これからどんなお芝居を見せてくれるんだろう、今度はどんな世界に私を連れ出してくれるんだろう、なんて考えながら、幕が上がる瞬間のあの胸の高鳴りは何にも代え難くて。

 

 

 

 

 

 ここ2年の間、「モダンボーイズ」をはじめ「染、色」(担当不在)、「粛々と運針」と連続して3つの舞台を見に行って、なんというか、重たい話ばかりだったから(それも勿論好きなんだけど)、「エドモン」を見終わった後、純粋に「あ~楽しかった!笑った笑った!」って劇場を出てこられたの、とても良かったな


 テンポ良く飛び出す台詞たち、次々とキャラを変えながら登場する個性豊かでチャーミングなキャストの方々、そして舞台上でずっとアワアワ駆け回っている主役のエドモン
 場面転換の多いこと、多いこと。とにかく早すぎて、次から次へと飛び出す台詞の大洪水に何度も置いていかれそうになったり。
 キャストの皆様はもっと大変なんだろうと思う、早着替えから舞台のセット移動まで、本当に、カーテンコールで出てきた人の少なさに毎度しっかり驚かされた。それでいてひとりひとり全くの別人に見えるからこれまたすごくて。ちなみに私の中で最後に結び付いたのは[リュシアン]と[ジョルジュ・フェドー]、あれは気付かんて〜〜〜^_^;

 パンフレットに書いてあったマキノさんの「総員エドモン状態!」ってフレーズに思わずクスッとしちゃったけれど、大げさに見えてこれがリアルなのかも、ひとつのものを創り上げるってそれだけ大変で、それほど凄いことなんだろうな。
 ドタバタコメディではあるんだけれどもそれでいてハートフルさもあって、舞台を見ているとき、大きな愛に包まれている感覚になるの、私だけじゃないと思うんだよね。

 

 

 

 

 

 内容は舞台の作り手たちにフォーカスを当てた「シラノ・ド・ベルジュラック」誕生秘話。舞台の裏側を支える劇作家や演者たちの様子を見れる機会なんて中々無いから、新鮮で面白かったなぁ。生みの苦労が見ている側にとっては生みの楽しさになってしまうっていう何とも皮肉なお話、、

 主人公エドモン・ロスタンが戯曲の完成に向かって執筆に奮闘するんだけれども、友人や女優、プロデューサーに振り回され、妻の嫉妬に追われ、そもそも本人は大スランプ中で。

 けれどそんな状況下でも、ただ振り回されているだけじゃなくて、エドモンを取り巻く人々や次々と起こるハプニングが上手く戯曲に影響を与えていく、その様が見事で、現実世界と戯曲の内容がどんどんリンクしていく瞬間にひたすらワクワクしながら見入っちゃってた。

 

 

 

 どのキャラクターも愛らしくて大好きだけど、特に黒人店主[オノレ]がお気に入り。エドモンがシラノを思いつくきっかけになったシーンはもちろん、たまに挟まれる酒場のシーンでのオノレの粋な台詞がこの舞台に欠かせないスパイスを加えてくれてる感じがして。

『たった一つだけ分け隔てなく隣り合って座れる場所がある、それが劇場です』
『俳優が芝居を辞める時は死んだ時だけだ』

 黒人であるが故に多くの苦労をしてきた彼の言葉は力強くて、それでいて優しくて繊細で。


 エドモンとオノレが巧みに言葉を操る様子とそこから生み出されるウィットの効いた言葉たちについ惚れ惚れしてしまう。詩人の詩人たる所以、口にする言葉たちはどれをとってもロマンチックで、知性に満ち溢れている。たしかに、ジャンヌもロクサーヌも外見ではなく中身ってなってしまう理由がわかるな、それが性格とかではなくて「言葉」ってのがまた斬新で良いよね。その人の語彙で、その人の文章の組み立て方で、人となりを知る。そう考えると小説家って作家自身をさらけ出してるというか、本を読む時同時に作家自身を読んでいる面もあるのかなぁなんて考えたり。

 

 

 

 

 そして一生納得できないエドモン二股問題!いくら傑作を生みだす過程だとしても、ジャンヌもローズも現実を生きているひとりの人間なのに。
 ドタバタコメディ!綺麗にハーピーエンド!みたいにしているけれども、エドモンはひたすら戯曲のためにジャンヌを利用して存在しない感情を作り出し、それが遂にはジャンヌの方に感情が生まれてしまい、行き場のないジャンヌの恋心とローズの嫉妬。そしてレオの気持ちも。

『ジャンヌはミューズ、着想を得るためであってそれは愛じゃない』
『君の美しさや心を強く求める心がここにあればこそ、僕は1人きりで立ち向かえる』
『大事なのは求める気持ちそのものだ、その気持ちが満たされてしまったら追及はたちまち終わってしまう』

 随分勝手なことを言ってくれるじゃん、ローズが放った「私はもう若くもないし魅力的でもないから詩が浮かばないのよね」の言葉、どんな気持ちだったか想像もできないのかな、それに対して悪びれた様子なく普通に肯定しちゃうエドモン、そういうところがずっと引っかかってた。

 結局最後までエドモンを愛せなかったのは、その残酷さを私が許せなかったから。

 コクランに『浮気で裁かれるのは肉体であって精神でなはい』だなんて言われながらも最後きっちり拒まずキスしてましたね、そこからローズに愛しているのは君だけなんてよく言えるなって。それを受け入れてしまうローズもジャンヌも理解できなくて。ずっとモヤモヤしてた。

 レオが「シラノ・ド・ベルジュラック」のクリスチャンを演じながら『俺は俺自身で愛されたい。そうでないならまるっきり相手にされない方がよっぽどいい』って舞台裏にいるエドモンの目を見ながら言ってたの凄く刺さった。普通はそうなんだよ、誰かが間に入るだなんて、うまくいったらそれでオッケーだなんて、絶対思えない。

 

 類い稀なる才能には誰もが惹かれてしまうし、それを目の前にした時は誰しもひれ伏してしまうものなのかな、なんだかな。フランス人が愛を愛するが故の行動ならば私が理解できないのも仕方ない、、のか、、?


 シラノの幕が下りて、『もう一回舞台に立って欲しい』と引き留めるエドモンと気にも留めず行ってしまうジャンヌのシーンに少し救われた。エドモンもまた唯一無二の才能を目の当たりにしてしまったのよね。

 

 

 

 

 舞台を創り上げる人のひとりひとりに、それぞれが舞台に対する想いがあって、譲れない情熱があって、みんな身勝手で厚かましくて。でもそこまでしてこそ完成した舞台が素晴らしいものになるんだろうな。舞台を創る人たちって本当に強いんだなって。

 このお話がどこまで事実に忠実なのかはわからないけど、たくさんの苦労と人々の想いが詰まって舞台やエンタメが成り立っていると思うとまた舞台に足を運びたくなるなぁ(終わったばかりなのにね、寂し~)。


 観客の笑い声、割れんばかりの拍手、終わらないカーテンコール

 最後エドモンがみんなに呼ばれてカーテンコールに応えるその後ろ姿に他にはない感動が全て詰まってた。たくさんの困難を経て初日に上がった幕が下りた時、この瞬間がある限り、つくる側も、観客側も舞台というものを求めてしまうんだろうな、と。

 この奇跡のような初日があったからこそ、世界中に愛される舞台として今日まで舞台が上演され続けているわけだけど、実際はどんな舞台も奇跡で、舞台は「奇跡が起こる場所」なんだよね。


 映画やドラマと違って、演劇は舞台の幕が下りるまで何が起こるかわからない。ハプニングだって起こるし、その日その公演でしか見れないものがある。だからこそ10年後、100年後も舞台はなくならないし、人々に愛され続ける。そう私は確信してるからこそ、自信を持って書いて書いて書きまくって欲しいし、初日の幕が上がる瞬間にいつも立ち合わせて欲しいんだよ、エドモンくん

 

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